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      |  | 医療行為としての精神分析 |  
      |  | 次は医療としての精神分析についてである。 つまり精神分析による治療は患者に対してどれだけの効果があるのかという疑問だ。学問や科学としては認められることが難しくとも、治療の分野であれば経験則的な効果が期待できる、かもしれない。原因不明の神経症に悩む患者であれば精神分析に頼りたくもなるだろう。
 
 
 ある治療の効果をできるだけ正確に知ろうとするならば、無作為に選ばれた多数のサンプルを用いた調査を行えばいい。が、精神分析に関するそのような調査はほとんど無い。ゼロということはないらしいが、調査結果がまったく一定せず、信頼にたるとされるデータがまったく無いのである。
 つまり、個々の患者の感想はともかくとして、科学的な結果として、一般に精神分析を用いた治療の有効性を主張することは残念ながらできない。
 
 上に書いたばかりの希望をすぐさま自分で批判するのもどうかとは思うが、「根拠に基づいた医療」もしくは「証拠医療」を行うにあたって、臨床試験のデータをそのまま治療に用いることが危険とされる。「証拠医療」すなわち、科学的な実証性をもった治療を行おうという潮流から見れば、経験則的な治療というものは、勘や経験に頼った時代遅れの悪しき治療とされてしまう。
 
 お金、費用の問題も存在する。効果が本当にあるのか分からない精神分析治療にどれだけの額を払えばいいのか。現在支払われている額は妥当なものであるのか、精神分析があやふやなものであるだけにややこしい問題である。
 ある精神科医の権威は、「あやしげな新興宗教に入信するくらいならば、カウンセラーにかかるほうがまし」と皮肉めいた発言をしていたが、新興宗教などには初めから入る気のない患者にとっては、信頼していいものかどうか分からない相手に、自分をさらけ出してそれなりの金額を払うということは、なんだか割に合わない話のように思われるのである。
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