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学問としての精神分析 |
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精神分析学は学問であるのか?
これと同じような問いは既にTOPページにおいても投げ掛けている。結論から先に言ってしまえば難しい状況と言える。それは単に一般にあるうさんくさいというイメージのせいではなく、フロイト、ユングからかなりの歳月を経た現在でも、いや現在だからこそ精神分析(分析心理)学に対する批判は多く見受けられるのである。
まずなによりも客観的な根拠を得られないという事実が自らを科学とする精神分析の最大の弱点。というよりはそのこと一つで科学というには足りないと考えられる。数値を用いることをせず、経験哲学的に治療者の主観によって理論を構築する精神分析学では、自然科学的な方法、数学的なものという客観的な根拠に基づいた実証をすることができない。ラカンが提起した数式は、でたらめと分かって精神分析学の信用性をおとしめることに成功した。
既に古典扱いされているとはいえ、今も多大な影響を与えているフロイトの精神分析学理論は、サンプルとしは少なすぎる患者のなかからフロイトが目をつけた特異なケースをもとにして編み出された科学的には「仮説」といってよい成立過程であり、フロイトもまたユングも神経症を患っており、その個人的な体験が彼らの考えや理論に大きな影響を与えたということからも、精神分析学はその成り立ちから主観的で非科学的なものであったという批判がなされるのである。
また、診療法にそれぞれの違いがあることはともかく、人間の精神とはどういったものか、という根本の点でフロイト、ユング、ラカンなど各派の定義、解釈、考えが、多く違っており真っ向から矛盾するものも少なくないのでは、話にならない。
分析家、分析医の用いる精神分析の理論が主観的だということは、分析医がいつもすべて正しいということになる。患者がいくらそれはおかしいと抗議しても、それは患者が真実を抑圧し、みとめたがっていないのだということにされてしまう。彼らにはいかなる反証も通じないのだ。そんなものが科学であるはずが無い。
精神分析学が学問と認められるには自然科学的な手法による実証が不可欠だが、近年は脳科学の発達により(精神分析のいくつかの概念は脳科学とは矛盾しないが)その立場をくるしいものとされており、フロイトが信じた「科学的心理学」という位置も、現代では主流とされる認知心理学に占められている。 |
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